自分が歩んできた道を、面白おかしく、子供達に胸を張って語れる大人を増やしたい
目次
目立たなかった幼少期
本田:畑さんは、どんな幼少期を過ごされたんですか。
畑:両親ともに公務員(郵便局員)の家庭で育ちました。小さい頃は身体が弱く、よく風邪をひいて、保育園や学校を休んでいました。とにかく運動神経が悪くて、運動会が大嫌いでしたね(笑)それに、面白いことが言えるわけでもないし、クラスでも目立たないタイプでした。
ただ、勉強は嫌いじゃなかったのと、母親の薦めもあり、中学に入る時に受験をして、中学・高校は、都内にある中高一貫の男子校に通いました。中高時代は、テニス部に入ったり、バトミントン部に入ったり、高校に入ってからはバンドをやったりしてましたが、高校3年に上がった頃からは、バンドもやめて、1年間、ひたすら受験勉強だけをやっていた記憶があります。
その後、無事国立大学に入りました。大学に入ってからは、皆と同じようにサークルに入ったり、居酒屋でバイトしたり、何というか、「ごく普通の」学生時代だったと思います。
就活で挫折。何もない自分への無力感
本田:そんな「ごく普通の」畑さんにとってのターニングポイントはいつですか。
畑:僕にとって、最初の大きなターニングポイントが、「就職活動」でした。
当時、僕はテニスサークルに所属していたのですが、それまで毎週のように一緒にテニスしたり、お酒を飲んだくれたりしていた仲間が、ある時急に、就職活動が始まるにつれて、「おれは銀行に行きたい」とか、「おれは広告業界に行きたい」とか言い始めるんですよね。でも、当時僕にはその意味がよくわからなかった。「え、みんなどこからそんな感情が湧いてくるの?」と。
そこで、一生懸命、「自己分析」というやつをやりました。でも、どんなに自己分析をしても、どんなに過去を振り返っても、自分の中から何も出てこないんです。皆みたいに、「将来こうなりたい」とか、「こんな業界に行きたい」とか、そういう気持ちが何も湧いてこない。ましてや、強みとか頑張ってきたことと言われても、自信を持って言えるようなものは何もない。
自己分析をすればするほど泥沼にはまりましたね。20年間を振り返っても何も出てこない自分に愕然としました。「自分は、20年間、何をしてたんだっけ。」と。
何歳になっても「仕事が楽しい!」と言える自分でありたい
本田:たしかに「何がしたいのかわからない」「自分の強みがわからない」って悩んでいる人は、就活生に限らず、大人でもたくさんいる気がしますよね。そんな中で、どうやって、そのモヤモヤを払拭していくんですか。
畑:僕がそのモヤモヤを払拭するきっかけになったのが、当時たまたま参加したあるベンチャー企業の就活生向けのセミナーでした。
当時、どっちの方向に進みたいのかも何も決まっていなかったので、中途半端に公務員試験の勉強をしたりしなかったりしながら、民間企業主催の就活セミナーにも、何の軸もないままに参加していました。
でも、そんな時に、あるベンチャー企業のセミナーで観た光景が、大げさではなく、その後の僕の人生の「軸」になっています。
その企業は、当時急成長していたベンチャー企業なのですが、セミナーの最後に、ある学生が壇上にいた社員の方に質問したんですね。質問は、「今、会社が急成長している中で、ものすごく忙しく仕事をされていると思うのですが、仕事とプライベートのバランスをどうとっていますか?」という質問でした。
その時に、その学生からの質問に対して、檀上にいた社員の方達がお互いに顔を見合わせて、「うーん。なんか仕事が楽しくてしょうがないから、あんまり考えたことなかったわ。〇〇さんはどう?」みたいな会話を始めたんですね。
僕にとっては、このやりとりは衝撃でした。なぜなら、それまで僕がイメージしていた「働く」ということに対するイメージは、「生きるためにやらなければいけないこと」と思っていたので、その会話を聞いて、「え!仕事って楽しんでいいものなの?」と。
その瞬間に、自分の中で初めて「こうなりたい」が、できたんですね。
つまり、将来、どんな業界で、どんな仕事をしていてもいいから、とにかく、
「40歳になっても、50歳になっても、60歳になっても、誰かに仕事のことを聞かれた時に、即答で『めっちゃ楽しいよ!』と話せる自分でありたい」
と思ったんです。実はその時から自分の根っこにある「軸」は変ってなくて、今もこれがキャリア選択の軸になっています。
誰もがそれぞれの持ち場で一生懸命頑張っている
本田:なるほど。興味深いですね。その後、15年以上経ち、今は人材開発・組織開発という業界に身を置かれているわけですが、そこにはどんな紆余曲折があったんでしょうか。
畑:その後、社会人になって、「とにかくボコボコにされたい」「自分を変えたい」という一心で、ベンチャー・リンクという会社に入社をしました。ベンチャー・リンクでの5年間が、自分自身の仕事観、価値観のベースになっていると思います。その後、組織規模もカルチャーも全く違う日本郵便という会社に転職をするわけですが、特に今の仕事に繋がるところでいうと、日本郵便で過ごした9年間で経験したこと、感じたことがやはり大きいかなと思います。
当初、27歳で日本郵便に入社した時、僕は非常におこがましくて、「早く偉くなって、この会社をもっといい会社にしてやろう」と思っていました。
というのも、最初僕は大きな勘違いをしていて、当時、現場の人達が大変な想いをしているのは、「結局は全部経営が悪いんだ」「本社にいる人達がきっと役人みたいな人達ばかりだから、現場の人達が大変な思いをしているのだ」と思っていたんですね。
でも、実際に本社に入って、数年仕事していく中で、徐々に自分の勘違いに気づいていきました。それは何かというと、本社にも、本当にこの会社を良くしたいと思って、一生懸命働いている人達がたくさんいるということなんですね。1人1人とちゃんと話していくと、皆さん色々な想いや問題意識を持っているんです。これは僕にとっては、正直意外でした。
だけど、組織となった時に、なぜか噛み合わない。あるいは、皆さん課長、部長、役員、社長と肩書きが上がっていき、色々なものを背負っていく中で、背負っているものが大きいが故に、あるいは肩書きを持ってしまっているが故に、本当は色々な想いを持っているのに、弱音を吐くこともできないし、社員から本音で腹を割って話してもらうことすらできない。
「組織で起こっている問題は、単純に誰か特定の悪者がいるわけではない」
というのが、日本郵便で得た大きな学びの1つです。
でも、日本郵便で9年過ごす中で、そんな人や組織の関係性が、目の前でガラッと変わる瞬間に何度も立ち会う中で、「あぁ、こんな人や組織が殻を破る瞬間にもっと立ち会いたい」という気持ちが強くなり、今ここにいる。そんな感じです。
自分が歩んできた道を、面白おかしく、子供達に語れる大人を増やしたい
本田:なるほど。そんな中で、今、畑さんがインヴィニオクロスという会社を通じて、実現したいこと、変えたいことってどんなことなのでしょうか。
畑:色々な企業の御支援をする中で、強く問題意識を感じていることがあります。それは、企業で働いている方達が、「疲弊している」ということです。
これだけ世の中がものすごい勢いで変化する中で、既存事業をやりながら、新規事業も立ち上げなきゃいけない。企業のカルチャーも大切にしながら、仕事のやり方も変えていかなければいけない。さらには、これだけ世代間の仕事観、価値観も多様化する中で、マネジメントも難しくなっている。そんな中で、本当は皆、色々な想いや問題意識を持っているのに、そんなことに想いを馳せる余裕もなく、目の前のことをこなすことで精いっぱい。アクセルとブレーキをずっと踏み続けている。そんな風に見えています。
僕は、この状況を変えたい。
そういう意味では、「育成」とか、「管理」とか、そういう話ではなく、「もっと個別具体的な支援が必要なんじゃないか」というのが、僕の中にある問題意識です。
今回、インヴィニオクロスを通じて2つのサービスをリリースしていますが、まさにこのような問題意識に基づいています。
もしかしたら忘れてしまっているかもしれないけど、きっと皆さん、本当は誰もが持っていると思うんですね。根っこのところに、色々な想いや健全な問題意識を。少なくとも僕はそう信じています。
ですので、誰もが本当は持っている想いや問題意識を引き出しながら、その想いの実現を阻害する「こうあるべき」とか、「言ってもムダ」みたいな、ある種の思い込みを取っ払いながら、1人1人がもっと自由に、枠に捉われずに、自分らしくパフォーマンスを発揮できる人が増えていったらいいなと。
その中で、それぞれの現場の最前線で孤軍奮闘されている皆さんの表情が変わり、パフォーマンスが変わり、結果としてチームとしてのパフォーマンスが上がり、しいては、「仕事がめっちゃ楽しい!」と自信を持って言える大人が増えたら、これほど嬉しいことはないと思ってます。
社会で働いている大人が眉間にしわを寄せて、「仕事は生きるためにやらなきゃいけないもの」「仕事は大変なもの」なんて顔をして仕事してたら、子供に「夢を持て」とか、「社会に出るって楽しいぞ」なんて言えないじゃないですか。
色々な企業さんの御支援を通じて、その企業の閉塞感を壊していくきっかけになれば嬉しいですし、さらには1人1人の方が、本来の自分の想いや問題意識に気づきながら、自分が歩んできた道を、面白おかしく、子供達に語れる大人を増やしていけたら、最高だなと。そんな風に思っています。